险要的山地地形有利于防守。被十国所包围,周围势力虎视眈眈
。石高:40.8万石分郡:伊那、诹访、筑摩、安昙、更级、水内、高井、埴科、小县、佐久
人口:700年8万,1600年27万,1721年83万。(
超长期都道府県人口の推移)
主要特产名物:荞麦、牛、熊、木材、鲤鱼料理
代表风土:诹访湖、镜台山、善光寺、桔梗原、温泉乡、西宫歌舞伎、浅间山、布引观音
主要势力:小笠原氏,诹访氏,真田氏,高梨氏,木曾氏,村上
氏,高远氏
本州中间位置的东山道之国。是南北较长的内陆国,被上野,武藏,甲斐,骏河,三河,远江,美浓,飞騨,越中,越后十国所包围。因此战略位置极其重要,且处于国土防卫的劣势。幸好还可以较高的山岳作为防御屏障,一定程度上阻挡外界入侵。
东边通过白根山,妙义山等山系与上野国相接,通过关东山地与武藏国相接,通过赤石山脉与甲斐国相接。西以飞騨山脉与越中国,飞騨国相接,通过木曾山脉与美浓国相接。北部的妙高山系和东颈城丘陵是与越后国分界线,南部通过木曾山脉与赤石山脉同骏河国、远江国、三河国接壤。平原部分以千曲川流域的长野盆地为最大,此外还有诹访湖畔的诹访盆地,天龙川流域的伊那,筑摩山脉中的松本盆地等。河流有注入太平洋的天龙川和木曾川,通向日本海的千曲川和犀川。以上两大水系将该国分成南北两部分,并形成了南信,中信,北信,东信等四个文化圈。此地一直由一些小大名所割据,一时由守护小笠原家统一,后由于小笠原内部的分裂,导致国人领主们的飞速成长,转变成了战国大名。高井郡的高梨家,植科郡的村上家,伊那郡的高远家,安昙郡的仁科家,诹访郡的诹访家,佐久郡的大井家,南信浓木曾家以及守护小笠原家都是强有力的地方豪族:但一直未有能够领有信浓一国的大大名出现,直到甲斐武田家统一信浓。而对此有危机感的上杉家,则与武田家在北信浓川中岛激战了五次。其中最激烈的是第四次,双方都付出了惨痛的代价。
南信浓的小笠原氏与北信浓的村上氏一直在信浓国内处于主要竞争状态,但这种格局随着1540年代甲斐武田家的入侵而发生了改变。1540年开始入侵佐久郡的武田信虎,于次年在攻击了诹访,村上,海野几家之后,被子信玄所流放,而武田信玄则继续着之后的信浓入侵。1542年,信玄击破了诹访赖重,高远赖继等;1546年攻降佐久郡的大井贞清;1547年又在佐久郡击破上杉宪政的部队;1548年虽然被村上义清所败,但在盐尻岗击破了小笠原氏。1550年,再次被村上义清击破后,信玄开始诱降信浓国人,最后终于击败村上义清迫使其逃往越后,依附于越后的长尾景虎(也就是后来的上杉谦信)。之后随着信玄逐步在信浓扩大势力,感到危机的上杉谦信应村上义清等信浓国人之邀于1553年第一次出兵川中岛。为了为北信浓诸将恢复旧领,谦信与信玄分别在1553,1555,1557,1561,1564年在川中岛对阵五次。在这一连串战斗中,第四次川中岛之战,就任了关东管领的谦信打算扫平信浓内的武田军,在海津附近于武田军激战。此战信玄之弟武田信繁等大批大将战死的情况下,最终击退上杉军,为统治信浓奠定了基础。自1558年信玄就任信浓守护后,名副其实地成为了真正的信浓守护。之后信浓作为信玄的最重要分国,信浓众随信玄四处转战,直到1582年武田家灭亡之前,信浓国内未有什么大的变故。
1582年,武田家的木曾义昌不堪领内重赋,背叛武田家。见时机成熟织田信长随即起兵攻打武田,武田胜赖兵败于天目山自杀,甲斐的名门武田家灭亡。战后,信长派遣森长可,泷川一益,木曾义昌,河尻秀隆,穴山信君,毛利秀赖等分治信浓。本能寺事变后织田家武将接连退走,信浓被上杉,德川,北条等侵略。结果,北信浓,水内、高井、更级、埴科四郡被上杉景胜取得;伊那,诹访二郡被德川家康取得;佐久,小县二郡被北条氏政所统治,安云郡、筑摩郡北部被小笠原贞庆取得,筑摩郡南部被木曾义昌取得,之后除了北信浓四郡外,其余均由德川家取得。1590年随着北条家灭亡,德川家康移封关东,信浓被封给了仙石,石川,真田等丰臣系大名。关原战后,信浓再次处于家康支配下,此后一直延续着由诹访,真田等信浓出身的武将的小藩分制统治。
镰仓幕府
1190年~1203年 - 比企能员
1203年~1221年 - 北条义时
1225年~1246年 - 北条重时
1265年~? - 北条义宗
1280年~? - 北条久时
1310年~? - 北条基时
?~1332年 - 北条仲时
室町幕府
1336年 - 小笠原贞宗
1338年~? - 村上信贞
1342年~1347年 - 小笠原贞宗
1347年~1352年 - 小笠原政长
1355年~1365年 - 小笠原长基
1366年~1377年 - 上杉朝房
1384年~1387年 - 斯波义种
1387年~1399年 - 斯波义将
1398年~1399年 - 斯波义重
1399年~1401年 - 小笠原长秀
1401年~1402年 - 斯波义将
1402年~? - 幕府直辖
1419年~1423年 - 细川持泰
1425年~1442年 - 小笠原政康
?~1446年 - 小笠原宗康
1446年~1450年 - 小笠原光康
1451年~1453年 - 小笠原持长
1453年~1461年 - 小笠原光康
1463年~1477年 - 小笠原政秀
1477年~? - 上杉房定
?~1542年 - 小笠原长栋
1542年~1550年? - 小笠原长时
1559年~1573年 - 武田晴信(信玄)
1574年~1582年 - 武田胜赖
飞鸟·奈良时代信浓守
小治田宅持(708年)
佐伯沙弥麻吕(714年)
巨势又兄(731年)
物部依罗人曾(746年)
坂合部金纲(747年)
佐伯大成(757年)
忌部鸟麻吕(757年)
藤原继绳(764年)
三川王(764年)
太犬养(766年)
藤原枫麻吕(769年)
菅生王(772年?)
多治比丰满(772年)
石川望足(774年)
大原净贞(778年)
大伴不破麻吕(778年)
纪家继(781年)
中臣鹰主(785年)
县犬养坚鱼麻吕(786年)
藤原乙叡(790年)
信浓介
谷绵麻吕(738年?)
纪僧麻吕(761年)
当麻王(767年)
浓宜公水通(768年)
弓削大成(769年)
田口水直(770年)
多治比贺智(786年)
平群清麻吕(790年)
平安时代信浓守
笠江人(795年左右?)
宇智王(813年)
菅原清公(826年)
纪百继(828年)
南渊弘贞(833年)
源弘(833年)
清原长谷(833年)
源弘(再任) (835年)
藤原大津(836年)
兴世书主(840年)
纪纲麻吕(权守)(841年)
小野篁(848年)
藤原助(851年)
久贺三夏(852年)
平实雄(853年)
源多(858年)
南渊年名(858年)
橘安吉雄(权守) (861年)
在原行平(862年)
橘安吉雄(由权守升为守) (864年)
源颖(867年)
藤原水谷(权守) (869年)
滋野善根(870年)
出云广贞(权守) (870年以前?)
兴基王(权守) (870年)
纪有常(权守) (871年)
在原守平(874年)
源包(878年)
橘有荫(884年左右?)
橘良基(884年)
源近善(权守) (884年左右?)
源道(权守) (886年)
藤原诸房(887年)
源定有(权守) (887年左右?)
藤原扶干(895年)
源实(899年)
源义(899年左右?)
源清荫(权守) (907年)
小乃清实(908年以前?)
源惠(908年)
源是茂(权守) (915年)
藤原忠房(权守) (916年)
橘公赖(923年)
平时望(权守) (924年)
源师尚(925年以前?)
藤原公葛(925年)
源宗千(925年)
源善延(927年左右?)
高阶师尚(936年)
藤原良载(936年以前?)
源公家(938年以前?)
源师保(944年以前?)
纪文干(944年左右?)
源重光(权守) (950年)
源信明(953年)
源经基(961年以前?)
藤原永年(961年以前?)
源惟正(961年)
平维茂(969年)
藤原陈忠(982年左右?)
藤原在国(权守) (988年)
藤原惟正(992年左右?)
藤原隆家(权守) (993年)
源满仲(997年以前?)
佐伯公行(998年以前?)
中原致时(998年)
源道方(权守) (1001年)
源济政(1002年)
源定长(1004年以前?)
藤原佐光(1004年)
藤原弘道(权守) (1007年)
源道成(1022年以前?)
藤原惟任(1022年左右?)
藤原信理(1023年以前?)
藤原保资? (1027年左右?)
菅原忠贞(1032年以前?)
藤原家经(1032年)
源赖亲(1040年以前?)
源孝义(1040年)
源经隆(1047年左右?)
藤原伊纲(1057年以前?)
橘俊通(1057年)
源国信(权守) (1079年)
藤原敦宪(1080年左右?)
藤原家纲(1089年左右?)
藤原定仲(权守) (1095年左右?)
藤原永清(1096年左右?)
藤原师光(1096年)
藤原永实(1100年左右?)
藤原斋长(1105年以前?)
高阶为行(1107年左右?)
大江广房(1108年)
大江广仲(1112年以前?)
藤原惟明(1112年)
藤原兼定(权守) (1116年左右?)
平盛基(1118年左右?)
源国房(1119年以前?)
源重时(1120年)
藤原盛重(1127年)
藤原重万(权守) (1130年左右?)
大江季重(权守) (1132年)
源义纲(1132年以前?)
藤原亲隆(1132年)
藤原朝隆(1139年)
藤原贤行(1143年)
藤原亲康(权守) (1146年)
藤原清道(1148年)
藤原长亲(权守) (1149年左右?)
藤原行道(1156年左右?)
藤原显贤(1157年)
藤原是宪(1158年)
源重成(1159年)
藤原伊辅(1160年)
藤原亲经(权守) (1160年)
藤原伊辅(再任) (1163年)
藤原隆雅(1168年)
藤原实教(1172年)
大江泰友(权守) (1174年)
藤原盛长(1179年左右?)
藤原景清(1180年)
大江成栋(权守) (1182年以前?)
藤原能成(权守) (1183年)
加加美远光(1185年)
藤原资经(1190年)
中原兼远(权守)(年代不详)
佐佐木泰清(年代不详)
源有房(年代不详)
信浓介
石川清主(795年左右?)
藤原继业(不久成为信浓守) (799年左右?)
和弟长(804年)
坂本佐太气麻吕(806年)
安部安仁(828年)
藤原贞守(841年)
下毛野文继(842年)
伴御园(846年)
佐伯雄胜(848年)
纪再弟(852年)
清原秋雄(852年)
纪道茂(854年)
藤原秀道(857年)
田口统范(权介) (858年)
纪冬雄(861年)
藤原是绳(权介) (864年)
有宗益门(权介) (865年)
大春日吉野(865年)
滋野恒荫(868年)
佐伯子房(权介) (873年左右?)
藤原恒实(权介) (878年)
橘茂荫(879年左右?)
藤原有令(884年)
良岑唯实(885年)
小野滋荫(893年)
藤原恒佐(权介) (898年)
小野美材(权介) (899年)
纪淑望(权介) (913年)
藤原俊荫(权介) (917年)
藤原显忠(权介) (925年)
三统公忠(权介) (941年)
高向行方(979年)
丹波茂忠(权介) (981年)
平保忠(984年)
平景盛(权介) (998年)
清岳光明(权介) (999年)
伴贞资(1033年)
平康清(1176年)
大中臣盛实(权介) (1178年)
中原国盛(权介) (1181年)
藤原良实(权介) (1181年)
镰仓时代信浓守
源远义(1194年左右?)
卜部兼直(权守) (1199年)
藤原长兼(1202年)
藤原公信(权守) (1203年)
藤原资赖(1203年)
藤原家时(1205年)
藤原基纲(1206年)
藤原隆纲(1210年)
藤原隆衡(1213年左右?)
藤原亲辅(权守) (1217年)
藤原隆雅(1226年)
藤原信忠(1227年)
源赖俊(1231年)
藤原公佐(1232年以前?)
源辅通(1232年)
藤原宗范(权守) (1233年)
诹访信重(权守) (1239年左右?)
源季远(权守) (1243年)
源通教(1255年)
源泰清(1258年)
源秀清(1258年左右?)
藤原教房(1258年以前?)
源通赖(1260年)
小笠原长忠(1264年以前?)
藤原行实(1268年)
藤原行章(1274年)
藤原亲世(1287年左右?)
安倍雅远(1288年)
藤原雅任(1289年)
小笠原长政(1294年以前?)
二阶堂行贞(1295年)
三善时运(1298年)
荒井赖任(1303年左右?)
小笠原长氏(1310年以前?)
三条实治(权守) (1330年)
小笠原宗长(1330年以前?)
清原某(1333年)
赤松范资(1333年左右?)
伊东祐光(年代不详)
信浓介
藤原祐康(1205年)
藤原实嗣(1206年)
藤原实亲(权介) (1206年)
藤原盛兼(1219年)
藤原亲季(权介) (1223年)
藤原兼赖(1229年)
大江景赖(权介) (1231年)
藤原雅平(权介) (1241年)
藤原公斋(权介) (1243年)
藤原茂通(权介) (1249年)
源具守(1260年)
藤原季显(权介) (1267年)
藤原通雄(权介) (1272年)
源为雄(1274年)
藤原实时(权介) (1274年)
藤原长忠(权介) (1278年)
源长通(1294年)
室町时代信浓守
坊门清忠(藤原清忠)(权守)(1334年)
白川资英王(1334年)
小笠原贞宗(1334年左右?)
左近少将入道某(1335年左右?)
堀河光继(1335年)
仁科重贞(1336年左右?)
风间信昭(1338顷?)
太田某(1340年左右?)
藤原基隆(权守) (1346年)
诹访赖嗣(权守) (1347年)
源利治(1347年)
安倍丰房(权守) (1350年)
藤原行盛(1350年)
诹访赖嗣(升格为信浓守) (1350年左右?)
源秀时(1351年)
诹访直赖(1351年左右?)
安倍泰规(1352年)
海老名某(1352年左右?)
蜂谷某(1353年左右?)
小笠原某(1353年左右?)
久我具通(权守) (1358年)
安东高泰(1358年左右?)
诹访某(1358年左右?)
八代某(1358年左右?)
山代某(1358年左右?)
武田义武(1359年左右?)
冈本富高(1364年左右?)
小笠原长基(1365年左右?)
二宫贞家(1366年)
白川显邦王(权守) (1375年)
白川资方王(权守) (1383年左右?)
二宫氏泰(1386年左右?)
小野氏信(1392年左右?)
信浓介
久我通相(权介) (1334年)
藤原实长(1342年)
源有范(1347年)
中山满亲(权守) (1390年)